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赤土色

 テニスの全仏オープンが閉幕して、19歳のマジョルカ人、ラファエル・ナダルが欧州クレーコートシリーズ4連覇、ツアー25連勝という堂々たる強さそのままに優勝した。決勝はアルゼンチンの26歳、マリアーノ・プエルタとの左利き対決となったが、両者の撃ち合いは実に見ごたえのある物だった。
 高い打点から鋭角への強打を繰り返し、これでもかこれでもかとナダルをコートの外に走らせるプエルタ。そのプエルタのスピンの効きまくった強打を、地面すれすれのところからコート深く返し続けるナダル。一球一球諦めずに走り続けるナダルにも、リードされても主導権を取り続けて打ち続けたプエルタにも爽やかな意地を感じられた。
 自分の武器にこだわる。決めてきたことをやる。テニスだけでなく、スポーツにおいては重要なことだと思う。昨日までの研鑽に誇りをもって今日の試合に臨む。そのために日々の研鑽も誇りを持って行う、そうしてこそ練習と試合、日常と非日常に連続性が生まれ、自らをくまなく表現するための試合という場面がリアリティを持った勝負の場面になるのではないだろうか。そして向かいに立つ相手もそうした意識を持ってこの試合に臨んでいるという共感が相手へのリスペクトを生み出すのだろう。「ここにたつまでに自分がどれだけ苦しんだか。相手はどうだろうか?楽にここに立っているか?いや、そんなはずはない」それが改めて全力を持って臨む原動力につながるのだろう。

 話は変わるが、全世界のトップを切ってサッカー日本代表が2006年ドイツW杯行きの切符を手に入れた。主力5人を欠いても2-0で勝利し自力で出場権を勝ち得たというのは称賛には値するが、アジアのなかで戦う分には選手層の厚みが増したという、それ以上でもそれ以下でもない。確かに予選を通じてチームとして強さを増したとは思う。しかしそれは、長い時間ともに戦うことで結束し、結果チームとして勝負強さが生まれたからだと思う。
 指揮官は「最後には精神力」と嘯いたという。しかし待って欲しい。この指揮官は最後の精神力に頼むほど、我々の代表になにか技術的な裏付けをもたらしたろうか?昨年のアジアカップも最後の武器は精神力ではなかったか?
 私はサッカーの戦術論に明るいと自負する程ではないが、スポーツを観るときに選手やチームの意図を考えながら観るのは好きだ。「3人で平たく並んだディフェンスラインを高い位置に保ちましょう」とか相手のボールに対して早めのチェックをかけましょう」とか「ボールをもった仲間を追い越す動きで攻撃の人数を増やしましょう」とか、ある程度の決まりごとのもとに意思統一されたチームの動きは見ていても分かりやすいし、それ以上に選手に迷いがない。自分たちで描いてきた勝利へのプロセスを一つずつ積み上げて、点を取り、守備をして、勝利する。確かな強さとはそうして生まれてくる物だと思う。苦しくても形勢不利でもそこにこだわって自分のプレーに徹することが出来るかどうかが精神力の勝負だと思う。その場の創造力だけで毎度毎度打開できるほど、世界のサッカーは甘くはないだろう。02年大会で日本や韓国に敗れた国々のサッカー人たちは4年間必死に考え、練習してきたはずである。当時トルシエが日本に紹介した戦術はもはや古典となっている。その人たちの知恵に、90分間イマジネーションやクリエイティビティだけで勝負できるほど日本人は屈強で敏速でサッカーが上手ですか?
 日本人の特性を生かした具体的な戦術で世界に勝負することが日本サッカーの誇りになる気がする今日この頃。

【いま聴いている曲】
New York, New York/ Grandmaster Flash and the Furious Five
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2005/06/09 14:01  Sportstop▲

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